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人生の分岐点3.11東北地震

わたしにとって、3.11は、大きな変化の日になりました。

その時、私は大阪で、とても大きい周波の揺れを体験していました。

気分が悪くなったのは私だけではありません、建物から多くの人が飛び出してきていました。

実は、その瞬間まで、車の中で、NHKの国会中継を見ていました。

緊急地震速報がけたたましく鳴り、東北地方が黄色く点滅していました。

五分後、すぐにテレビから、「太平洋沿岸に大津波警報、高さ7m以上の津波到達予想」

と、報道がありました。私は正直「また、また~、大げさな」と思ってしまいました。

案の定、津波の速報が50cm程度が到達とありました。

でも、とてつもない「いやな予感」が走ったのも事実です。

阪神大震災の時、ほとんどのところの震度が、震度4~5 良く良く見ると

震源地に近いところのデータが全く入っていないことに気づきました。

その一時間後に、あの阪神高速倒壊の映像を目の当たりにしました。

その経験が「いやな予感」を作っていたのかもしれません。

いやな予感が当たってしまいました。

帰宅して、続々届く、大津波の映像を見て、腰が砕けそうになったことは言うまでもありません。

現地の映像、現地の難を逃れた人々の姿を見るうちに、私の中で何かが変化していることに気づきました。

もし、大きながれきを移動させた下に妻の遺体を見つけたら私はどう思うか?

娘の行方が分からず、永遠に探しづづけてなければならないとしたら私はどう感じるか?

長男が、原発の中で必死に放射能と闘っているとき、私はどんな気持ちでいるのか?

手間暇かけて、大切に育て上げた野菜や果物がまるで病原菌のような評価を下されたら私はどう思うか?

自分の家族も行方が分からないのに、従業員の生存を心から喜び、その瞬間から従業員の給料の支払いに

奔走し、矢面に立って取材を受け、現状を凛として訴え、

工場も材料も取引先も全くなくなっているのに、前を向いて「必ず復旧させます」と、言いきる経営者。

私がもしその立場だったら、同じことがカメラに向かって言いきれるか?

明日の食べ物もままならないのに、体が動く限り回りも人と協力し、捜索活動を無心で続けられるか?

そんな事ばかり、四六時中考えるようになっていました。

そして、ふと気がつくと、自分の心の柔らかいところの窓が開け放たれ、

閉めるすべをなくしている事に気がつきました。

心の窓が開け放たれていると、ふとした歌に耳を傾け、人の心の強さに打たれ

いつもなら通り過ぎるような、桜にも感激し、涙が止まらなくなったりします。

すると、笑ったり、楽しんだりということが、不自然になり、ついつい言葉を選んでいる自分がいました。

この感覚を、私は以前に経験したことがあることを、ふと、気づきました。

実は、今はおかげさまで健常者となり、大学で就職活動している娘は

小学生の頃、体調を崩し、長期にわたって入退院を繰り返す時期がありました。

娘は以前はスイミングでキックが得意でとても楽しんでいました。

病気のせいでそれもできなくなり、入院の日々も長くなってきました。

私も水泳をしていたのですが、娘の事がわかってから水泳は止めていました。

というよりプールに行く気にはならなかったのが実情です。

妻の手助けで、娘の身の回りの世話をするために

病院に行き、娘の元気な顔御見ると安心して、用事が一段落すると、いつの間にか疲れ果て

娘の横で、眠ってしまうこともしばしばありました。

病室から出るとき、娘の笑顔で元気になって病院を出る日々でした。

要するに、見舞いに行った私が、娘に元気にしてもらって病院から帰ってきたのです。

ある日、娘にこう言われました。

「お父さん、この頃全然泳いでいないね、水泳やめたの? それって、私のせい!」

愕然としました。

娘のためと自粛していたことが、娘の気持ちを圧迫していたとは。

今回の地震に対して、大阪での影響は皆無です。なのに、一年で一番素晴らしい季節、

一年で一週間しか咲かない桜、お花見も、自粛ムード。

それって、現地の人が聞いたら、どう思うでしょうか。娘の事と重なり、考え込むことになります。

いろんな人がおり、いろんな考え方があります。人に考えを押し付けることはそれは傲慢かもしれません。

でも、その人の立場になって考えるということは、どう言うことでしょうか。

日本人はとても優しい人が多いと思います。無頓着にはしゃぎ、ばか騒ぎする人などいません。

だから、自分の事は後回しに出来ます。だから、商店への略奪や、暴動が起こらないのだと思います。

その反面、皆が皆のことを思いやり、自分だけがこんな幸せでいいのかと、自分を責めてしまうのも事実です。

でも、現地の人は、自分を責めてふさぎこんでいる関西の人を見てどう思うでしょうか。

現地の人の責任など皆無です。現地の人を責める人もいないと信じたい。

 

しかし、そのふさぎこんでいる人を現地の人が見た時、自分たちのせいで申し訳ないと、かけらでも思わせることがあるとしたらどうでしょう。

離れた私たちが元気に笑い、元気に花見し、歌い、人生を楽しんでいる姿を見て、

現地の人は、「自分の事ばかり」と多くの人が傷つくとは

私は思えません。

現地の人は、そんなレベルの低いところでは、闘っていないと思います。

それどころか、

「待っていてください。時間がかかるかもしれないが、必ず私たちもそちら同様に、

心から楽しめる社会を作って見せます」

と思い、励みにすら変えていく、域に達し始めている人が増えてきていると、私は信じたい。

たから、関西を含めた、西日本の人たちにあえて言いたい。

旅に出ませんか、旅と言っても、近くでいいです。近所の公園でもいいです。

私のように、心の奥深い柔らかいところの心の窓が開いている人も多いはず。

すると、風を感じます。ふとした花に立ち止まり、人の笑顔が素晴らしく感じます。

綺麗なものに感動し、流れてくる聞きなれた歌にも心が動きます。

地震が起こるまで、忙しさに流れて行ってしまっていた、この時間を

取り戻す事が出来る機会を与えてもらったのは、私たちではないでしょうか。

私たちが、元気に健やかに社会生活を楽しむことで、

現地の人たちの励みになるとしたら、素晴らしい事ではないでしょうか。

放射能も心配です。どんな影響が降りかかってくるかも、わかりません。

でも、命までは取りません、誰も敵はいません。爆弾も落ちてきません。

それどころか、全世界の人たちが味方になってくれています。

今、日本は一年中で一番美しい季節です。

外に出かけましょうよ、おいしいものを食べましょうよ。

確かなものを心にとどめ、一生懸命に生きましょうよ。

でなければ、心ならずもこの世を去らなくてはならなかった人たちに失礼だと、私は思います。

最後まで読んでいただけ感謝いたします。

元気な日本に、一日も早く戻れることを祈って。

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